◇こうなったら最後まで


おはようございます。
ふー。やっと一息つきました。「ブログを書かなきゃな〜」とか、「このネタでブログ書いておきたいな〜」と思っても、このところブログを書く時間とモチベがありませんでした。

時間がないって言うよりも、時間を作る気力体力がないっていうのが正解かな。
だって私、もうアラフィフよ。更年期よ。無理できないんだって。


ブログって、ついつい後回しになりがちです。
「もっと『書く』ことを習慣化しないとな」とは常々思っているのですけど、今はまだそのペースを掴むことに限りある時間と労力を割けません。
仕事のことや家族のことなど、他に優先しないといけないmatterが色々とあるのですよ。40代って忙しいから。


まあ、そもそもこのブログというものを、「この先どうしていこうかな」ということは、ずっと思案中なんですよね。
改めて言うまでもないですが、いまどきブログって書く人も読む人もめっきり減っていますでしょ?

LINEブログも今年でサービスを終了してしまいますし、ライブドアブログやアメブロもいつまでサービスを残してくれるか分からない。


いえね、もう私もブログにはいいかげん見切りをつけて、noteとかLetterとかで書こうかなと、考えたことはあるっちゃあるんです。
「やってみませんか?」とお声をかけていただいたこともあるんですけど、読者の皆さんに直接課金するスタイルは自分には合わない気がして、悩んでいるうちに面倒くさくなってしまいました。

有料マガジンやLetter配信をするとしたら、自分のペースで好きなように書くというわけにはいかないですしね。そう考えると、なんだかんだでブログって気楽。
書きたいことだけ書けばいいんだし、書けない時には書かなきゃいいんだし、読者さんに課金をお願いしていないから責任もないし。


ですから、ライブドアがブログサービスの提供を続けてくれている限りは、このまましぶとく居座って書いていこうかな。
ちなみにですが、ワードプレスに移行するつもりはありません。
いよいよライブドアがブログサービスの提供を終了するとなったその時には、このブログは消えてもいいと思っています。わざわざコストをかけて残すつもりは無いんですよね。

このブログが消えても、わたしはどこか別の場所を見つけて書き続けるでしょう。基本的には活字でしか発信できない人間ですので。


そもそもブログうんぬんの前に、活字文化ってこれからどうなっていくのでしょう?
新聞も雑誌も本も、活字ベースのメディアで景気がいいところはありません。紙だと特にですよね。

実を言うと、うちも今回の引越しを機に、ついに紙の新聞の購読をやめたのです...。
本も、最近はほとんど買わなくなりました。財布に余裕のあった頃は、できるだけ本屋さんで紙の本を購入するように頑張っていたのですけど...。

だって、そうしないとブックビジネスに関わる人たちにお金が還元されないから、商売が立ち行かなくなってしまう。「本」という文化を支えていくためにも、そのコンテンツを生み出してくれている人たちにお金を払うべき!と、元書店員として使命感に燃えていました。


でもでも、今は好きなだけ本を買うとか無理なんですよー。
ただでさえ子供2人(大学院生と受験生)にかかる教育費の支払いがすごいことになっているところへ、この物価高ですから。
紙の本より割安価格になっているKindle版でさえ最近は購入を控え、「ホントに申し訳ないです...」(>_<)と心の中で侘びを入れつつ、読みたい本は図書館で借りて済ませてしまうこの頃です。


図書館で借りて読んでみて、それでも「手元に置いて、何度でも繰り返し読みたい」と思った本だけを購入するようにしています。

そんな本は滅多になくて、ほとんどは「一回読んだらもういいや」なのですが、つい先日ひさ〜しぶりに購入した本はこちら。

本屋で待つ
佐藤友則
夏葉社
2022-12-25


図書館で借りて読んだのですけど、「いや、これはもう、手元に置いておきたい!プレゼントにもしたい!」と思いまして、自分用とプレゼント用に2冊も買っちゃいました。

いつもながら、島田潤一郎さんの心に染み入ってくるような文章に加え、テーマが色々とストライク。
私は書店で働いていたことがあるので共感する部分が多いのもあるのですけど、書店に限らず「住民に高齢者が多い地方で商売をしていくには」という視点で、色々と考えさせられたりヒントになることが多かったです。


何より、舞台となっている書店では、幾人もの不登校や引きこもりの若者たちを受け入れて、次々と社会復帰させているのです。最初は他人と目を合わすことができず、ろくに挨拶もできなかったような子たちが、少しずつ元気になり、楽しそうに仕事をするようになっていく。

店長さんの考え方、若者たちへの接し方に、感銘を受けるんですよね。
一部抜粋しますね。


>「そんなことじゃ社会に出られないよ!そんなので社会に出てどうするの?」

短絡的ではありますが、これが学校へ行けなくなった子を持つ親の気持ちだと思います。
この子が社会に出て大丈夫なのだろうかという親の気持ちだと思います。

でも、どうでしょうか。今のこの社会が良いものでしょうか?より多く持つ者が賞賛を浴び、より早く進む者が高い報酬を得、より強い者がさらに強くなる世の中に送り出すのが正解なのでしょうか?


僕たちはいつの間にか「早くて安くて便利なもの」に価値を置くようになりました。遅いと怒り、高いと文句を言い、不便を嫌ってきました。高度経済成長期などとうの昔に終わり、小さくなっていくことが前提であるにもかかわらず、未だに大きくなっていくことにしがみついているようにも見えます。

その歪みを誰しもが分かっているはずなのに、大人たちはまだそれを必死に正当化しようと悪戦苦闘しています。ギィギィと軋む音があちこちから聞こえてきます。それでもこの世の中で生きていかねばなりません。そして、社会はそう簡単には変えられません。

でも、きっと変わっていきます。変化し続けているのがまた社会でもありますから。どう変わっていくのかは分かりませんが、一人一人に託されていると信じています。



この本は、どこを読んでも言葉が染み入ってくるのですが、特にこの下りはジーンとしました。
今、私の身の回りには不登校の子が多いのです。親戚にもいるし、ママ友の子供や、猫を通じた友達の子供も不登校になっています。

「えっ?!そんな理由で?」と、驚くほど些細なきっかけで、子供たちは簡単に学校へ行かなくなってしまう。世の中どうなってんだよと思います。

不登校の子を持つ親の立場からの苦労話を聞けば、「大変だね」と同情するし、「最近の子は、ちょっと軟弱すぎるなぁ」なんて思ってしまうことも正直ある。


けれど、この本を読むと、変わるべきなのは子供ではなくて、「大人の考え方や接し方」の方じゃないかと気付かされるんですよね。
店長である佐藤さんと、佐藤さんの言葉を文章にした島田さん双方のお人柄のおかげだと思うのですけど、この本は誰のことも責めてない。責められているような気持ちに全くならない。ただ、「気付かされる」のです。


「本屋で待つ」は漫画の単行本くらいの小さな本で、パラパラっとめくってサラサラっと読めてしまう。
そういう「文字も内容もぎっちり詰まってない」本は、簡単に読めてしまうから「1回読めば十分。だから図書館で十分」なことが多いのです。けれど、この本は違いました。

本当に心からお勧めしたい本なので、ご興味のある方はお手に取ってみてください。