◇残酷な真実


こんにちは。
昨日、子宮系ウォッチャー&ライター仲間の黒猫ドラネコさんより、重大発表がありました。
なんと、彼が原作を手がけたLINE漫画が、今月23日より配信開始となるそうです。


詳しくはこちらから→【お知らせ】黒猫ドラネコの小説が漫画家!


縦スクロールで読むタイプの作品だそうです。なんと!イマドキですね。楽しみです♪


ストーリーやキャラクターは原作から大幅に加筆修正とありますので、漫画ではどう話が展開していくのでしょうか。
絵の雰囲気から考えて、恐らく原作よりもエグいことになるんじゃないかと予想していますw
だって、この絵w すごいパンチ力ww

FullSizeRender

きっと子宮系カルトのアンチやウォッチャーにとってはスカッとして溜飲が下がり、信者たちはにとっては青ざめてしまうような内容なのでしょう。
漫画を通じて、自分達はこういう風に世間の目に映っているのだと、カモさんたちが自覚できればいいなと思います。

そして漫画になることで、子宮系スピリチュアルというマイナーカルトが引き起こしている問題が、もっと広く世間に知られますように。


丁度サイコミで読んでいた「明日、私は誰かのカノジョ」の スピリチュアル女子・エミー編が終わってしまったので、次の楽しみができて嬉しいです。

いや〜、良かったですよね。「明日カノ」のエミー。自分で気がついて、スピリチュアル依存から卒業できて。
現実を直視して、周りの人たちとも向き合い直せば、ちゃんと居場所は用意されている。救いのある終わり方でホントよかった。

この作品て感心するほど上手くできていますよね。どの話もダークでビターなのに、決して嫌な後味じゃない。ほろ苦さの中にほのかな甘さがあって、味付けの仕方が絶妙です。
主人公たちの生きづらさは必ずしも解決されていないのだけど、「それでも生きていくんだ」っていう、女たちの覚悟と底力が感じられるんですよ。
エミー編は、まさに今スピリチュアル依存の真っ只中にいる女性たちが読んでも、怖さと同時に救いを感じられる内容だったのではないでしょうか。


今日はもう1冊。カルトウォッチャーよりもカモさん達にこそ読んでもらいたい本を紹介します。

教団X (集英社文芸単行本)
中村文則
集英社
2015-08-14



こちらの本は、紙がお薦め。
なぜかというと、うんざりするほど分厚いから。「辞書なのか?」というほどの厚みがあります。

あまりにも長い本を電子版で読むと、終わりが見えなくてイライラするのは私だけかしら?
紙の本だと、自分がどこまで読んだのか、どの位のスピードで読めているのか、あとどのくらいで読み終われそうかが目視できますから、気持ちが楽です。
私はハードカバーを2日がかりで読みました。

ハードカバーは値段が高いですが、著名な作家さんの代表作の一つなので、お住まいの地域の図書館に行けば多分置いてありますよ。文庫版も出ていますので、もし新品の本を買って読みたい方は文庫でどうぞ。


私は、中村文則さんの小説が基本的に苦手です。なぜ苦手なのかというと、作風がじめっとしてて暗いから。読むと陰鬱な気持ちになってしまうんですよね。

だけど、「教団X」は良かったです。引き込まれました。
物語の登場人物は、規模の小さな複数のカルト教団の教祖たちとその信者たちなのですが、序盤は訳が分からないんですよ。誰が主語で話をしているのか分からないし、物語と呼べる物語が見えてこないから。
ひたすら登場人物たちの「意識」の独白と情景描写が交錯してて、話の筋が見えないままに、ページだけが進んでいきます。

けれど読み進めていくうちに、段々と「宗教とは何か」「神とは何か」「人とは何なのか」という問いかけが迫ってくる。小説家というのはすごいなと、舌を巻きました。
ここまで人間の本質を見抜いているものなのかと。優れた小説家には、人を、社会を、時代を透視する能力があるのでしょうね。


例えば、作中の教祖の口から語られる宗教についての考察ですが、


「なぜ当時、新興宗教が盛んだったかというと、高度経済成長期だったからです。新興宗教は現世御利益、つまり日常生活での幸福を求めるものが多いですが、高度経済成長期なら、自然と人々の暮らしは楽になっていく。

だから宗教の発信側も現世御利益を発信しやすいし、時代の流れで裕福になった人達も、これは宗教のおかげと思ってくれやすい。

現代の日本では既存のもの以外、新しい宗教はそれほど生まれていない。慢性的な不景気の中で、この宗教に入れば幸せになれると発信側も言いにくいのです。なので昨今の宗教家たちは占い師のような存在に変化し、金銭を多く持つ個人に近づくようになりました。相手が集団であれば、明確な現世御利益がいる。でも相手が一人なら何とでも洗脳できる。効率がいいのです」


「ドフトエフスキーが言っていることですが、でも人間は一度思想に捉えられるとなかなか変化しないそうです。理論に理論をぶつけても、その人間が変わることはごくまれです。

彼らが変わるのは感情によってだとドフトエフスキーは言います。そして、その思想を否定するだけではダメで、代わりに何か別の思想を得なければ彼らは絶対変わることがない」


どうですか?その通りですよね。

教団内で幹部になった信者が、なぜ自分はこうなったのかを回顧する下りも秀逸ですよ。


「全てが中途半端だった。自分は優秀であるはずなのに、まず受験で失敗した。連鎖して就職にも失敗し、自分に見合う会社に入れなければ、仕事が続かないのは仕方ないと思った。能力もなく、ただコミュニケーションの力だけで集団で群れる人間達。いつも邪魔する人間たち。だが自分は彼らを打ち倒すこともなく、屈服し続けた。

プライドがもうもたなかった。社会の中で自分は有力なポジションにいるべきなのに、気がつくとどこにも就職できない状態になっていた。有力な会社、肩書き、何でもいい、自分を納得させるものが欲しかった。それが手に入らずただ年月だけが過ぎていき、次第に、自分の内面の芯のようなものが歪んでいくのを感じた。」


今まさにカルトの信者である人たちが読んだら、まるで自分のことを描写されているようで、心が波立つのではないでしょうか。
だからこそ、信仰と教祖への疑念との間で揺れている人こそ手に取ってもらいたい。

「もしかしてこれは自分のことなんじゃないか」「仲間のあいつのことなんじゃないか」「自分達のことが書かれているのではないか」

と、心臓をえぐられる気持ちになること請け合いです。


宗教とは、その思想が生まれた時代と国家の事情によって、為政者の都合によって、大衆のエゴによって、幾重にも欲が重なり合って利用されるもの。

美しく見えるものの後ろにある醜い真実をつけつけられるような作品ですが、カルト問題に社会がかき回されている今だからこそ、読むべき1冊です。
ぜひ秋の読書のラインナップに加えてください。