◇尽くして耐え忍ぶ女に大変身した教祖に感じる悲しみ


こんにちは。寒いですね。
今日は寒いので、家に引きこもって書き物をします。
早いところ原稿を片付けなければならないのですが、そういう時に限って寄稿記事が公開されたり、観察対象の教祖が一言言いたくなるようなバカなことをしているのですよ。

だってね、こちらの壱岐島のさやりんごのブログ、長年のウォッチャーとしては読んだからにはコメントせずには居られないでしょう?

こちらから(リンク先は魚拓)→余裕で尽くせる女になりたかった。


何だろう。この胸に去来するやりきれなさは…。
私は「さやりんご」が「子宮委員長はる」の頃から見てますからね。


子宮委員長はるとして、岡田氏と結婚していた頃とは、もう真逆のキャラになってしまったのね…。
あの頃は、


「女は子宮の声を聞き、ご自愛すべし。仕事も家事育児も女の仕事じゃない。
女はぶっちゃけ生きてるだけでいい!

自分の機嫌だけを取っていれば、子供は誰かが育ててくれるし、男が稼いでくるようになるし、愛されて蜜がれる(原文ママ)。それが宇宙の法則。

私は岡田に何にもしてあげてない。あげてるのはあっちいマンコだけ!」


と言ってたじゃない。
いや、その主張は全く受け付けなかったよ。すごぉ〜く気持ち悪かったよ。
だって、その主張の主語を男に入れ替えれば、最低のクズだから。つまり、女であっても男であっても、そんな人間は最低だと言うことですよ。

だけど今、さやりんごはそんな最低な男に尽くす女になってしまったのか…。
彼女の夫であった岡田氏が、当時書いてたようなブログを書くようになったのね。
彼も、もう少し子供の面倒を見て欲しいと訴えてたよね。今なら別れた夫の気持ちが少しは分かるんじゃないの?


仕事を理由に不在がちで、家にお金も入れず、たまに帰ってくれば偉そうにする男から受け取るものは、「あっちいチンコだけ!」ってことだよね。
例え一緒に過ごす時間が少なくても我慢して、本当は借金で首が回らないのに、一家の大黒柱を引き受けて徹夜で働き、夫の望むままに彼の欲しがる金品を貢ぎ、家事をして、血のつながらない子供達の育児も引き受けて、もしもこの状況に不満を抱いたら、それは自分のチャレンジ不足ってことになるのか。


何それ?どんな地獄よ?


全く対等ではない、バカにされたような暮らし方だね。
よっぽど自尊心が低くないと、こんな生活に我慢なんかできないでしょ。


幸せだと主張しているけど、ずいぶん愚痴が増えたよね。
この記事に限らず、ブログに綴られる言葉の端々に、疲れと苛立ちが滲んでいるもの。

元々それほど体力のある方じゃないのに、もう若くもないから疲れるんでしょ。
30代後半は、ガクッと体力が落ちる時期。今まで好きな時間に寝て起きて、自由気ままな暮らしを送っていたのに、突然生活リズムを他人(子供達)に合わせなくちゃいけなくなったら苛立つよね。疲れて当然だと思う。
誤字も目立つよ。眠くて頭が働いてないんでしょ。


家族ができたと言うけれど、子供たちから全く懐かれていないでしょ?
お金と物で機嫌を取って、「ここは私の家」だと威圧して、言うこと聞かせてるだけだよね。
その証拠に、子供たちと心を通わせている様子が全く書かれていないし、子供たちを慈しむ気持ちも、一向に文面に表れてこない。

育児って、「見返りを求めずに他者に尽くす心」を養う修行みたいなものなのだけど、さやりんごの場合は、「あれ買ってあげた、これ買ってあげた」「こんなことしてあげた」「こんなのも用意してあげた」と恩義せがましい上に、子供たちから期待したような反応(喜ぶ姿や、感謝、愛情)が返ってこないとヘソを曲げる。


本人は自分を聖女に見立てているけど、実のところはただの童女。
芸術家には奔放な人が少なくないから、もし人一倍の感受性の鋭さと、突き抜けた才能があればそれでも許されるのだろうけど、残念ながらさやりんごはそうではない。
天才のふりをした、ただの嘘つき。さやりんごのしていることは、芸術ではなく、宗教ですらなく、ただのチンケでセコイ詐欺。

己の欲望を満たすことにだけ忠実で、他者を顧みず、保身ばかりを考えているからそうなるの。


例え他人に分け与える愛が無い自己愛のモンスターでも、突き抜けて自己愛に溢れていた頃はそれが彼女の個性だった。その極端な主張と強烈な個性が魅力だったのよ。
なのに、今はその魅力がすっかり失われてしまった。


自己愛という個性を失くしてしまったから、主張がブレて、キャラクターは180度変わってしまう。
男とセックスを通してしか自己を確立できない女が、男に相手にされなくなってしまったからなのでしょうね。もうすっかり自分を見失っている。

岡田からは見限られ、セフレに去られ、彼氏に捨てられ、再婚相手からは性の対象にされず、愛人は逃げていった。孤独に病んでいた時に、唯一すがりつけたチンコが今の旦那だものね。
もしかして、旦那にセックスしてもらう度、お金を払っているんじゃないの?
そんな生活をしていたら、自己肯定感の低いつまらない女に成り果てるのも仕方がないね。


人間は他者を通じて自己を認識する生き物だから、愛されて、大切にされ、かしずかれていないと、女王様でいることはできないの。
さやりんごにはもう、徹底的に甘やかして勘違いさせくれる男が身近に居なくなってしまったので、自尊心のレベルが男に奉仕していた風俗嬢時代に戻ってしまったのでしょう。


私は子宮委員長はる時代から彼女のことが嫌いです。嫌いだけれど、それでも今の姿には哀しみを覚えずにはいられない。
ああ、これが、かつてご自愛、子宮中心、自分自神を唱えた女の末路なのかと…。


横暴な精神、粗野な言動、俗悪な色が重なった派手な衣装。一言で言えば、グロテスクな女。
だけどね、例え嘘と虚飾にまみれた醜悪な女といえども、かつては自信に溢れていた一人の女が、今や見る影もなく卑屈になり、つまらない男の奴隷となった姿を見るのは、どうにもやりきれない気持ちになるものですね。