◇当時はそれでよかったんです


こんばんは。
もうすぐオリンピックですね。
ネットを見ている限り、コーネリアスが謝罪しても、過去の障害者いじめ告白に起因する騒動は全く沈静化する気配がありませんが、本当にこのままオリンピックに突入してしまうのでしょうか。

なんだかもう、色々とすごいですよね、今回のオリンピック…。


私は、今回騒ぎになるまでコーネリアスの過去のいじめ告白問題を全く知りませんでした。
というより、コーネリアスの名前を聞いたのもテレビで顔を見たのも23年ぶりでした。
私の学生時代にはフリッパーズギターも人気だったし、解散してオザケンとコーネリアスになってからもそれぞれ曲がヒットして、テレビにも出て活躍していたので、ファンだったわけじゃない私も普通に聴いていましたよ。

ロンドンに住んでいた頃にも、丁度コーネリアスのライブがあると聞いて、当時付き合っていた売れないミュージシャンの彼氏と出かけたんですよね。
ピカデリーサーカス近くの小さなライブ会場だったと思うのですが、会場前はロンドン在住の日本人で大行列ができていました。列に並んでも入れるかどうか分からず、結局ライブは諦めて遊びに行きましたが、至近距離でコーネリアスが見れると思っていたので残念でした。

ただ、「日本のミュージシャンがロンドンでライブってすごい。流石はおシャレな渋谷系だな」と思っていたら、お客さんは日本人ばかりでイギリス人は全然聴きに来ていなかったことに、何だかガッカリしましたねw


さて、話を戻して今回の騒動についてですが、「昔のサブカルにはそういう下品な側面があった」「当時は許されたこと。今の価値観で過去を断罪してはいけない」とおっしゃる方々のご意見も分からなくありません。
私も1990年代に青春を送った昔の人間です。美大生でしたので、今では絶対に許されないことをアートだと思ってました。


これは一つの例なのですが、著名な写真家に荒木経惟さんていらっしゃるでしょう?
彼は1990年代後半にはイギリスでも大変人気があって、ロンドンで一番と言われたアートの専門書店の一番目立つ場所に写真集が飾られていたのです。

広げられたページの写真は、不思議な形状をした何かを撮影したものでした。それは言葉では表しようのない美しいカーブを描いた、とても複雑な物体でした。
それが何を写したものかはすぐには分からなかったけれど、自然界にある何かだと思われました。
美しさに魅入られて写真を凝視しているうちに、やっと分かりました。その被写体が拡大された女性器であるということに。
その写真は日本では猥褻物に当たりますから、海外でだけ出版された写真集だったのでしょう。


アラーキー(荒木経惟)についてのBBC特集(NHKスペシャル的なイギリスの番組)も、ロンドンで視聴しました。これも日本では放送されていないでしょう。

番組の内容はこうです。
当時のアラーキーは幼い女子児童を撮影することに凝っており、自分の娘を有名にしたい日本の母親たちが、こぞって我が子を彼に差し出してました。
10歳前後の女の子たちは日本人形のような格好をさせられ、数え切れないほどのシャッターを切られますが、ある少女がプライベートで撮影された写真が高い評価を得ます。

女の子が目に涙をいっぱいに溜めた写真でした。
その写真は、アラーキーが料亭の個室に女の子を一人で呼びつけ、お酌をさせた時に撮った写真でした。
「女の子のリアルな表情を引き出したい」という意図を持って、彼は女の子に自分をもてなすように命じ、酌をさせながら長時間拘束した上、執拗に嫌がらせをしました。
幼い少女は誰にも助けを求められない状況でアラーキーに迫られ、「自分はこれからこのおじさんに性的な悪戯をされるのではないか」という恐怖に怯えきり、遂にこらえきれず涙を流したところを写真に納めたのです。
その写真こそが、「子供のリアルな表情を撮った」として、世界の人々が絶賛した一枚でした。


どうです?ありえんでしょう?


彼は流石に子供をレイプしたりはしませんでしたが、モデルとなった少女たちの母親たちは一人残らずラブホテルに連れ込む様子が番組では流されました。


どうです?アウトですよね?


好むと好まざるとにかかわらず、そういう時代だったのです。
女や子供を含めた弱者たちの人権がまるっと無視されておりました。

私自身そのことに違和感や醜悪さを感じながらも、そういうものなのかと納得し、疑問に思っていませんでした。
その時代が内包する異常さって、後になってみないと分からないんですよね。


あの時代にやりたい放題してて今も許される下品さと、絶対に許されない下品さの差って何かなと考えた時、それは弱者の立場で意地汚く戦ってきた下劣さだったのか、強者の立場で弱い者を踏み付けにした卑劣さだったのかの違いではないかと考えます。


そんなこんなで前置きがめちゃくちゃ長くなってしまったのですが、寄稿記事が公開されておりますので、まだお読みでない方はどうぞ。

こちらから→なぜ中年男性は、親子ほども歳の離れた女性を愛してしまうのか〜昼下がりの情事〜


これもまさに1990年代の話なわけですが、記事中の河野(仮名)さんは東京で学生をしていた頃にお世話になった、言うなればバイト先の雇用主です。
45歳の雇用主が20歳の学生バイトの女の子を二人きりの食事に誘うのって、今だったらセクハラ案件ではないでしょうか。
でもね、これも当時は普通のことだったのですよ。

私にご飯を奢ってくれたバイト先のおじさんは、河野さんだけではありませんでした。あの頃オフィスにいた男性社員みんなから順番にご馳走になっていたし、それは私だけでなく他のバイトの子達(男の子も)もおじさん達からご飯を食べさせてもらっていました。
そういうものだと思ってたので、こちらも遠慮なくごちになってモリモリ食べておりました。

ご飯をご馳走になりながら、耳学問で様々な勉強もさせていただいてましたね。楽しい社会勉強の一つでした。


この時代は男の人たちに余裕があったなと思います。みんな気前が良かった。
今と違ってパパ活なんて無いし、男の人が女の子に食事をご馳走する際に、いちいちコスパや下心なんて持ち出しません。
こちらも美味しいものが食べられて、興味深いお話を聞かせてもらって、楽しかったから出かけていたのです。
男性とご飯を食べてお小遣いをもらうなんてこと、もちろんありません。


さて、この時の河野さんの恋心の告白には驚かされましたね。
若い私の目には、失礼ながら45歳の男性は「枯れた男」「お父さん」と映っていたので、娘ほども歳の離れた女性に恋をするだなんて驚いてしまったのです。

もちろん当時の河野さんの年齢に自分が追いついてみると、この年ではまだまだ男も女も枯れないと知りますし、むしろ性欲がいくばくか落ち着く分、少年や少女のように純粋な恋をしてしまうと分かるのですけど、25年前の私は若さゆえに残酷でしたから、中年男性をまるで年寄りのように思っていました。


あの時代は、おじさんたちの懐にまだ余裕があった時代だったからこそ、六本木の夜も華やかだったのでしょうね。
男も女も大人の社交場で疑似恋愛を楽しみ、間にお金を挟みながら夢を見ていた時代だったのでしょう。なんせ山一證券が破綻する前ですから。


それにしても、「昼下がりの情事」ですよ。
この邦題って合ってんのかな?と思うほど淫靡な字面です。

だって「in the afternoon」が「昼下がり」ですよ?
タイトルを見ただけでは、オードリー・ヘップバーン主演のラブコメディではなく、大胆な濡れ場ありの日活ロマンポルノかと思いますよね。

日本語って何て奥が深いんだろうかと、河野さんを迎えにロンドンの地下鉄に乗りながら感心していた一コマを、記憶を遡ってそのまんま書いたのが今回の記事です。

お楽しみいただけたら幸いです。