◇たまに思い出す同級生


こんにちは。
さて、心屋引退の話題に心奪われてご紹介が遅くなりましたが、寄稿記事が公開されております。

こちらからどうぞ→虐待を受け復讐のために妹を殺した少女 30年後の今、何を思うのだろう〜永遠の仔〜


昔のことを掘り起こしたいわけではないので、事件についてここでは何年に起こった何という事件かという特定はしません。
きっとAも今頃は平穏無事に生きているはずですしね。多分…。

彼女の表記をAとしたのは、ありがちですが「少女A」のAです。
今では見かけなくなった表現ですが、犯罪者が未成年である場合、昔は「少年A」とか「少女A」と報道されていました。
昔でも世間を震撼させた凶悪事件では、未成年でも実名報道がされることもありましたが、この事件はそうではありませんでした。

インターネットなどまだ無い時代のことですから、一般人により犯人の顔写真や実名が流出するということもありません。

ですから、彼女は顔も名前も無き「A」です。


近頃、悲しいことに虐待のニュースが多いですよね。虐待のニュースを見るとAのことを思い出します。
私にとって、初めて虐待について触れたのがAの事件でしたので。

とはいえ、記事にも書いた通り、当時は「虐待」という言葉さえ知りませんでしたから、あれが虐待の引き起こした悲劇だったことを理解するのは大分後のことです。

当時の私はただ驚くばかりでしたし、マスコミも「成績優秀で素行に問題もない真面目な子供が何故?」という報道の仕方だったと思います。
どこで学校の名簿を手に入れるのか、私の家にも週刊誌の記者が訪ねてきましたが、Aの家庭の事情については外部に口を割る生徒が居なかったのと、その後もバスジャックとか「17歳が起こす事件」が続いたため、家庭内の虐待ではなく普通の子供が突然キレる現象として注目されていました。


私はベビーブーマーではありませんが、まだ子供が多かった時代に子供でした。子供って多いと大事にされないんですよね。
昔は児童虐待がニュースになることなんてありませんでした。それが犯罪ではなかったからです。


世間一般で体罰が容認されており、私が子供の頃は学校の先生も塾の先生も生徒を叩きましたが、それが問題視されることはありませんでした。
まあ、なんせ子供の方でもやんちゃなのが多かったですから、先生方もご苦労されていたのでしょう。

当時、地元の公立中学校では、窓ガラスが破られるのが日常茶飯事。上階の窓からは色んなものが投げられるので頭上注意。ヤンキーが廊下を自転車で走り、校門の前ではウンコ座りした不良達がタバコとシンナーをふかしてたむろしているという、今では見ない光景が広がっておりました。

だから、まともな学校に通いたい子供は中学受験して私立に進学していたのです。私も小学校時代に嫌いだった意地悪な女の子達(中学でヤンキーデビューする子達)と離れたくて、そうしました。


テレビドラマや映画では、夫の意に背いた妻が張り倒されるシーンがよくありました。聞き分けのない女や生意気な女は、男が殴ってしつけるものとされていたのでしょう。

そんな時代に、親や兄弟が子供を虐待していても問題になるわけがありません。警察も家庭内のことには不介入でした。
家が地獄で逃げ道がなく、追い詰められて自死したり、家出する少年少女は今よりも数が多かったのではないかと思います。家出した未成年の受け入れ先(ヤクザ、風俗、新興宗教)も今より大手を振ってましたしね。

Aの場合は自死を選んだり、家出をするのではなく、自分に加害した相手に直接反撃に出たのでしょう。
もしも家庭内の児童虐待が犯罪となる今の時代であれば、自ら罪を犯すようなことをしなくても、児童相談所に駆け込めば親の罪と責任を問えたはず。


私が虐待を身近に感じるようになったのは、自分自身が子供を産み、慣れない子育ての辛さに悩んでからです。
その頃には育児ノイローゼの母親が乳幼児の我が子を暴行したり、放置して死なせてしまう事件が虐待だと騒がれるようになっていましたが、そうした母親達の気持ちが分かるとテレビを見ながらいつも思っていました。
我が子を殺さずに済んだ母親と、殺めてしまった母親の差なんて紙一重だと。

その頃にたまたま手に取ったのが、「永遠の仔」です。


永遠の仔〈上〉
天童 荒太
幻冬舎
1999-02T



それと、こちらの漫画も同時期に買いました。




続・凍りついた瞳 (コミックス)
ささや ななえ
集英社
1999-03-18



児童虐待を他人事ではなく、自分事として感じて初めて、その恐ろしさに震えました。

私は結局、乳幼児期の子育てが辛かった頃は、子供を保育園に預けて働くなどし、子供との距離のバランスをとっているうちに子育てに慣れてゆき、やがて子供自身が成長して手がかからなくなったので最初の危機は去りました。

次は、子供達は少し大きくなっていましたが、
最初の結婚に終止符を打つ前の3〜4年間ほどが辛かったです。
必死に子育てしていましたが、当時は生活が苦しくて、未来が見えなくなっていました。家計を支えるための仕事や家事育児に忙殺されて、心にも時間にも余裕がなく、また住環境も悪くて、まともに寝ていませんでしたので、子供達に対して大らかに構え、優しく接することが難しくなっていました。

私は離婚することができてやっと生活と精神に落ち着きを取り戻し、最初の夫のことも「あの人もいい人だったのよ。私とは組み合わせが悪くて、上手くいかなかっただけ」と笑って話せるようになれましたが、もし我慢しながらの生活を続けていたら、今頃はひどい母親になっていたでしょう。


家の中でも外でも、自分がどんなに夫を嫌いで、子供のために我慢しているかと不満ばかりを話し、不幸な結婚生活と金銭苦のストレスから、外でがむしゃらに働き、遊びにも夢中でほとんど家におらず、子供のことは暴力で支配したり、放置と言えるほど放任して、家庭を顧みない母親になった。

…そんな風になっていたかもしれません。それはありえたかもしれない人生です。
私のママ友や知り合いには、実際にそうなってしまった人たちが何人も居るのですから。

私がそれを免れたのは、ただ幸運だったのです。


虐待は、加害者もまた被害者意識を抱えて生きています。バランスを崩した人間の歪みが引き起こす病なのでしょう。
そこに、加害者を罪人ではあっても悪人とは決め付けられない難しさがあるのです。


そして、加害者を返り討ちにしたAも、罪人にはなりましたが悪人ではありませんでした。
彼女は加害者でありながら、犠牲者でもあったのですから。

彼女は、その後どう生きたのだろうか。重い刑が課せられることはなかった分、自分自身でどう罪と向き合うことになったのだろうか。
もし結婚して子供を持ったとしたら、大人になり、親になって何を思うのだろうか。
そんなことが、今でもたまに気になるのです。