◇その友人を観察する私の痛む心と冷たい目


こんばんは。
寄稿記事が公開されておりますので、まだお読みいただいてない方はこちらから→空想にしがみつき人生を潰した女たちの成れの果て〜キマイラに寄せて〜

*寄稿先のメディアが閉鎖された為、リンクは解除しました。
現在、記事を読むことはできません。


この原稿は、実は以前寄稿していたAlettaというサイト向けに、去年の夏に準備していたものです。
けれど、残念ながらAlettaは短期間でサイトが運営停止になってしまったので、原稿も未完のまま宙に浮いていたものを、改めてLifeBoosterさんに寄稿させていただきました。


絵画に詳しくない方でも、ギュスターヴ・モローを知っている人は少なくないのではないでしょうか。画家については知らなくても、絵は見たことがあると思います。

サロメが有名ですよね。

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神話の中で出てくる魔性の女や伝説的悪女を描いた幻想的な作風は日本人に高い人気があるので、モローの作品展は日本でもしばしば開催されます。
昨年も「ギュスターヴ・モローと宿命の女たち」展が東京のパナソニック汐留美術館で開催されていたので、私も足を運びました。

ミュージアムショップで図録をめくっていたところ、記事の冒頭に引用した一文と出会い、「精神世界に夢を見がちな女性をこれ以上ないほど上手く言い表しているな」と思い、子宮系にハマった友人について書いてみることにしたのです。


モローの描いたキマイラはこちらです。

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付き合いの長い友人について、こんな風に語るのはためらいがありました。
複雑な思いがあるので、文章が全体にセンチメンタルですかね。


子宮系にハマるなんておよそまともじゃありません。八木さやのような人物に憧れ、あのような生き方を肯定するのは間違っています。

けれど、私は元々の彼女が高学歴で頭の良い女性であったことや、潔癖で生真面目な人柄であることも知っているので、単純に「あんなものを崇拝するなんてバカだ。間抜けだ」と批判するには抵抗があります。

互いの人生の歴史も承知しているので、彼女の人生のどこに挫折があり、なぜ40歳を過ぎてから恋愛やセックスに対するコンプレックスをこじらせてしまったのかも分かっています。


25年前に出会った頃の、まだ20代前半で学生だった彼女は在京キー局でアルバイトをしており、学生ながら大いに活躍して大物アナウンサーに気に入られ、大学卒業後は当然そのテレビ局に入社するものと思われていました。
しかし、大物アナウンサーの後ろ盾で就職するチャンスを蹴り、電通を目指したものの就職試験に落ちたことから華やかだった人生が狂い始めます。


卒業後の彼女は映画監督を目指してパリへ渡り、そこで映画の専門学校へ入りました。東京では仲良くなかったものの、私がロンドンへ渡ったタイミングと彼女がパリで進学したタイミングが重なったため、互いに行き来をしあって親しくなったのです。
パリとロンドンは飛行機で1時間もかからず、ユーロスターで3時間ほどの距離でした。


知り合った頃の彼女は自信家で高慢だった為、彼女に負けず劣らず自信家で高慢だった私はよくぶつかっていました。彼女が私より4歳年上だったこともあり、私に対して説教くさいのも苦手なところでした。
若い頃の私は人生を楽しみ、恋愛にうつつを抜かし、複数のボーイフレンドたちと面白おかしく遊ぶのが好きでしたが、品行方正で純愛主義の彼女はそんな私を厳しく叱ったものです。

けれど、互いに自分の夢だけを信じて心細く暮らしていた異国の地では、喧嘩もするし気が合わないところはあっても、夢を語り合って励ましあえる頼もしい存在として、お互いにもたれ合うようにしていました。

そんなかけがえのない時を共に過ごした友人が狂っていくのを見るのは切ないものです。


彼女が私に「子宮委員長はる」を勧めたのは、まだ子宮委員長はる(現在は八木さや)が岡田氏と結婚しており、初めての著書を出して人気がうなぎ上りだった頃です。
彼女は岡田氏と藤本さきこの「お金のセミナー」にも参加し、一時期は岡田氏を師と仰ぎ様々な相談をしていたようです。

彼女は私が子宮系を痛烈に批判しても耳を貸そうとしませんでした。
岡田氏が子宮委員長はると離婚し、子宮の教えを否定し元妻を批判するようになっても、世間で子宮系スピリチュアルへの非難が高まっても、頑なに耳を塞ぎ、「ハッピーちゃんとはるちゃんは正しい。それを信じる自分も正しい」と思い込むのに必死です。

藤本さきこのセミナーに参加したってちっともお金が稼げるようにはならなかったのに、いまだに法外に高いノートを購入して、藤本さきこが提唱するワークを実践しています。

その様子を見るにつけ、私はもう哀れな彼女を現実に引き戻そうとは思わなくなりました。


彼女は「描きたい物語がある」と言っていたのに、パリで在学中に映画監督になる夢を諦めました。そして、その理由を「日本の映画業界がダメになってしまったから」と説明しました。

そうでしょうか?
日本の映画界は彼女がダメになったと判じた後も活況を呈しています。

彼女は映画監督を諦め広告カメラマンとしてキャリアをスタートさせましたが、15年ほど仕事を続けたもののアシスタントのままでした。才能がなかったのです。


彼女は頑なに己の現実を見ようとしません。
ネットのおかげで彼女のような「表現活動をしたい」と考える人が、己の才能を世に問うことは随分簡単になりました。

映画で描きたい世界があるなら、動画を作ってYouTubeに上げてみればいいのです。
写真の腕に覚えがあるなら、インスタグラムはうってつけです。
彼女は物語づくりや文章力にも自負がありました。ならば、noteに書いて販売することができます。
けれど、彼女はチャレンジをしません。

結局のところ、彼女には「表現したいもの」なんて無かったんじゃないかと今は思います。
映画監督を目指したのは、大見栄を切ってテレビ局への推薦を蹴ったのに、電通への就職に失敗した恥から逃げていただけではないかと思えるのです。


彼女は「恋愛に苦労する星の元に生まれている」と主張していますが、私の目から見れば彼女の恋が上手くいかない理由は明らかです。彼女は相手の立場や気持ちを考えないし、求めるばかりで相手に与えることをしないのですから。
若くも美しくもないのに、そんな自分勝手な女性を好いて結婚したいと思う人はいません。

なのに、彼女はそれを認めず、「男は女を輝かせるためにサポートするのが宇宙の法則」「自分が自分に優しくすれば、世界も私に優しくなる。だから私は自分を甘やかすことに集中すれば良い」と、自分にとって都合の良い子宮系スピリチュアルの理屈を信じたがります。


彼女が子宮委員長はるを信じるようになってから、かれこれ5年でしょうか。
5年前、私は彼女に占われ、「大殺界だから、あなたはこれから2年ほどは何をやっても上手くいかないの。今は静かにして時を待つ時」と言われました。

けれど私は彼女に大殺界だと言われたその頃からブログを書いて人気が出始め、現在の夫とも出会い再婚しています。
彼女の信じる「星」だとか「宇宙」は何も決めません。人生を決めるのは自分自身です。運命に星の動きも手のひらのシワも名前の画数も関係ありません。関係があるのは自分の判断力と意思の力です。


彼女は知り合った頃からスピリチュアル好きでしたが、そんなことは別に問題じゃありませんでした。
けれど、子宮系に傾倒してからの彼女の言動は明らかに問題がありました。当然まともな友人知人は離れていきました。

その様子に私も初めは心配したり憤ったりしていましたが、今はもうそんなことをしても無駄だと分かり、諦め、冷ややかに行末を見つめています。
そして書こうと思っています。今後も彼女については書くでしょう。

友人の目を覚ますことはできませんでしたが、私が今までこのブログで子宮系への批判を書いてきたことで、「ユキさんのブログのおかげで目が覚めました」と多くの方々からご連絡をいただいておりますから。


友人の人生はもうどうにもなりませんが、過去には親しかった人ですから幸せを願っています。
彼女はもう50歳が目前です。やり直しがきかなくなりつつある現実の厳しさに直面すれば心が壊れて生きていけなくなるなら、このまま幻想の中で生き続けるのもまた一つの幸福のあり方かもしれません。

正直に言うと、正解は分からないのです。
あの日パリで見た年老いた娼婦たちの人生が、不幸だったかどうかなんて分からないし、私には決められないのですから。