◇分かってなかったけど生きづらかったんだ
こんばんは。
暑いですねとご挨拶したかったのですが、日中は暑いものの夜になればぐっと気温が下がる地域に住んでいます。
なので、今は涼しいです。
今日は娘と買い物に行っていました。なんとまだ梅雨明け前だというのに夏の大バーゲンへ。
私が二十歳前後の頃は、夏のバーゲンが始まるのは8月の中旬、お盆あたりからでしたけどね。今じゃもう夏が始まる前からバーゲンなのですね。
とはいえ、今は地球温暖化も進んで25年前とは気候も変わり、5月から夏服を着ているのでバーゲンが早いのも時代に合ってていいのかもしれません。
こんばんは。
暑いですねとご挨拶したかったのですが、日中は暑いものの夜になればぐっと気温が下がる地域に住んでいます。
なので、今は涼しいです。
今日は娘と買い物に行っていました。なんとまだ梅雨明け前だというのに夏の大バーゲンへ。
私が二十歳前後の頃は、夏のバーゲンが始まるのは8月の中旬、お盆あたりからでしたけどね。今じゃもう夏が始まる前からバーゲンなのですね。
とはいえ、今は地球温暖化も進んで25年前とは気候も変わり、5月から夏服を着ているのでバーゲンが早いのも時代に合ってていいのかもしれません。
数日前Twitterを見てたら流れてきたニュースで、イギリスが今年になってから一番暑い日を記録し、人々がマスクもせずにビーチに押しかけて密だと報じていました。
イギリスも気候が変わってしまったのだなと驚きました。だってまだ6月ですよ。
私が留学していた頃のイギリスは、8月に2週間ばかり暑くてうだるような日が続きましたが、あとは夏といえども基本的には涼しかったのです。
夏の昼間でも肌寒いので、カーディガンが必要でした。
だから、どの家庭にもセントラルヒーティングはありましたがエアコンはついておらず、街中のお店や施設でもエアコンが設置されてるところは珍しかったです。
だって1年でエアコンが活躍するのは2週間程度なのですから、汗だくでも半月くらいなら我慢しますものね。
さて、そんなロンドンでの思い出話を綴った寄稿記事が公開されていました。
まだお読みいただいてない方はどうぞ。
こちらから→処女にこだわる韓国財閥令嬢が生きた1990年代の青春〜パラサイト〜
*寄稿先のメディアが閉鎖された為、リンクは解除しました。
現在、記事を読むことはできません。
この記事が公開されて、致命的なミスに気がつきました。
私ったら違うキャラクターに同じ名前を付けてしまっていますね。
今回公開された記事に出てくる、韓国の財閥令嬢ジュウンの金魚の糞だったスイス人の男の子と、前回公開された記事(魔性の女に弄ばれた若い愛人男の哀れな記録〜マノン・レスコー)に出てくる、魔性の人妻・小夜子さんに弄ばれる、同僚だったアイルランド人の男が同じく「トーマス」になってます。
まるで同一人物ですね。
うわ〜ん、全くの別人なので、今からでも名前書き直したいです。ヽ(TдT)ノ
財閥令嬢の話は5月に書いたのですが、名前は忘れたけれどドイツ系スイス人だった男の子にとりあえずトーマスと名付けたのを忘れて、6月に書いた魔性の女の記事にも同じ名前を使ってしまいました。
小夜子さんに振り回されていたアイルランド人は、「トーマス」と同じくらい昔からよくある名前でした。
ただ、いくらありふれた名前とはいえ実名をそのまま使うのは憚られるので、仮名で書いたのですよ。サイモンとかチャールズとかにしとくんだった。(T_T)
たまたまダウントンアビーの劇場版を見た後に書いたので、映画に出てくるダウントンアビーの執事、トーマスの名前をそのまま原稿にも使ってしまいました。
小夜子(ちなみに小夜子ももちろん仮名です)さんに恋い焦がれていたアイルランド人のトーマスは、黒髪に黒い目の白人でした。当時はまだ20代半ばでしたがすでに髪の毛が後退し始めており、恋の苦悩のためかアルコールの飲み過ぎで体型も崩れ始めていましたが、ティーンエイジャーでバンドを組んでいた頃の写真ではアイドルみたいに可愛い男の子でした。
ウィリアム王子をご覧になっていただくと分かると思いますが、白人はハゲたり体型が崩れて老けるのが早いんですよね。若い頃にはハンサムでも、努力せずにいればあっという間におじさんになります。
彼のバンド仲間だったボーカル担当の男性にも会ったことがありますが、金髪でブルーアイズのハンサムな人だったので、バンド時代には二人して群がる女の子たちを食い散らかしたそうです。
ただ、いくらハンサムでも私が会った時のボーカルの彼はいい歳をして無職だったので、もうモテなくなっていたようでしたが。
そして、このボーカルだった男性の高校生の弟さんは、純朴そうな子でしたが、私が会ってから2週間と経たないうちにヘロインのオーバードース(過剰摂取)で死にました。
そんなトレインスポッティングみたいな話が本当にあるんだと驚いたのを覚えています。
さて、スイス人の方のトーマスですが、彼のことは名前は忘れましたが外見についてはよく覚えているのです。白人には珍しいほどブサイクでしたから。
スイス人にしては背が低く(170cmなかったと思います)、金髪碧眼でも下ぶくれで寄り目で「面白い顔」をしてました。
ただ、頭と性格は悪くなくて、英語も上手だったので彼は語学学校で私たちよりもずっと上のクラスに居たはずです。
学校でジュウンを取り巻いていた男の子の中には、まるでローマ彫刻のような美形のイタリア人もいましたが、彼は私たちよりも更に下のクラスでしたので、遊び人のイタリア人よりスイス人のトーマスと一緒に居ることが多かったジュウンは、きっと頭のいい男の子が好きだったのでしょう。
それでもいきなり電話に出てもらえなくなりふられてしまうのですから、本当にトーマス君を気に入っていたのかは分かりません。
ジュウンのファッションはほとんどジーンズでしたが、ジーンズとはいえ彼女の服はどれも高そうでした。実際ブランド物しか身に付けてなかったと思います。
ローラアシュレイのワンピースにしても、当時は結構高くて1着7〜8万してたと思います。私はウィンドウを眺めるのが精一杯でした。
当時のロンドンにはローラアシュレイの路面店が沢山ありましたが、今年の3月に経営破綻してしまいましたね。
私は韓流ドラマは見ませんが、韓国の小説は結構面白く読んでます。
読んだ本が全部面白かったわけではありませんけど、以下の2冊は面白かったですよ。
「82年生まれ、キム・ジヨン」はフェミニズム文学として注目された小説です。
私が学生だった頃には、まだこうしたフェミニズムの盛り上がりは無かったし、女として生きることの生きづらさは、どう言葉にすれば良いのか分からないものでした。
あの頃の私は若く、韓国について全くと言っていいほど何も知らなかったので、やたらと処女の話にこだわるジュウンの話の背景と彼女の心情が汲み取れませんでしたが、彼女は「生きづらさ」や「息苦しさ」を訴えていたのだろうなと今は分かります。
私がジュウンとカフェに行ったのが1996年のこと。そして、アジア通貨危機が1997年です。母国が大混乱に陥ったのですから、恐らくはジュウンも何らかの影響を受けたことでしょう。
1996年には夢と希望がいっぱいだった私も、「失われた◯◯年」を生きるロスジェネになりました。
女だろうと男だろうと生きづらい世の中です。
当時はSNSなどありませんから、顔を合わせなくなったらそれっきり。
ジュウンは仮名ですが、彼女の本名はちゃんと覚えています。ただ、ファーストネームは覚えていても苗字を忘れてしまったんですよね。
覚えていれば検索してみるんですけどね。今頃どうしているのかなぁ。
イギリスも気候が変わってしまったのだなと驚きました。だってまだ6月ですよ。
私が留学していた頃のイギリスは、8月に2週間ばかり暑くてうだるような日が続きましたが、あとは夏といえども基本的には涼しかったのです。
夏の昼間でも肌寒いので、カーディガンが必要でした。
だから、どの家庭にもセントラルヒーティングはありましたがエアコンはついておらず、街中のお店や施設でもエアコンが設置されてるところは珍しかったです。
だって1年でエアコンが活躍するのは2週間程度なのですから、汗だくでも半月くらいなら我慢しますものね。
さて、そんなロンドンでの思い出話を綴った寄稿記事が公開されていました。
まだお読みいただいてない方はどうぞ。
こちらから→処女にこだわる韓国財閥令嬢が生きた1990年代の青春〜パラサイト〜
*寄稿先のメディアが閉鎖された為、リンクは解除しました。
現在、記事を読むことはできません。
この記事が公開されて、致命的なミスに気がつきました。
私ったら違うキャラクターに同じ名前を付けてしまっていますね。
今回公開された記事に出てくる、韓国の財閥令嬢ジュウンの金魚の糞だったスイス人の男の子と、前回公開された記事(魔性の女に弄ばれた若い愛人男の哀れな記録〜マノン・レスコー)に出てくる、魔性の人妻・小夜子さんに弄ばれる、同僚だったアイルランド人の男が同じく「トーマス」になってます。
まるで同一人物ですね。
うわ〜ん、全くの別人なので、今からでも名前書き直したいです。ヽ(TдT)ノ
財閥令嬢の話は5月に書いたのですが、名前は忘れたけれどドイツ系スイス人だった男の子にとりあえずトーマスと名付けたのを忘れて、6月に書いた魔性の女の記事にも同じ名前を使ってしまいました。
小夜子さんに振り回されていたアイルランド人は、「トーマス」と同じくらい昔からよくある名前でした。
ただ、いくらありふれた名前とはいえ実名をそのまま使うのは憚られるので、仮名で書いたのですよ。サイモンとかチャールズとかにしとくんだった。(T_T)
たまたまダウントンアビーの劇場版を見た後に書いたので、映画に出てくるダウントンアビーの執事、トーマスの名前をそのまま原稿にも使ってしまいました。
小夜子(ちなみに小夜子ももちろん仮名です)さんに恋い焦がれていたアイルランド人のトーマスは、黒髪に黒い目の白人でした。当時はまだ20代半ばでしたがすでに髪の毛が後退し始めており、恋の苦悩のためかアルコールの飲み過ぎで体型も崩れ始めていましたが、ティーンエイジャーでバンドを組んでいた頃の写真ではアイドルみたいに可愛い男の子でした。
ウィリアム王子をご覧になっていただくと分かると思いますが、白人はハゲたり体型が崩れて老けるのが早いんですよね。若い頃にはハンサムでも、努力せずにいればあっという間におじさんになります。
彼のバンド仲間だったボーカル担当の男性にも会ったことがありますが、金髪でブルーアイズのハンサムな人だったので、バンド時代には二人して群がる女の子たちを食い散らかしたそうです。
ただ、いくらハンサムでも私が会った時のボーカルの彼はいい歳をして無職だったので、もうモテなくなっていたようでしたが。
そして、このボーカルだった男性の高校生の弟さんは、純朴そうな子でしたが、私が会ってから2週間と経たないうちにヘロインのオーバードース(過剰摂取)で死にました。
そんなトレインスポッティングみたいな話が本当にあるんだと驚いたのを覚えています。
さて、スイス人の方のトーマスですが、彼のことは名前は忘れましたが外見についてはよく覚えているのです。白人には珍しいほどブサイクでしたから。
スイス人にしては背が低く(170cmなかったと思います)、金髪碧眼でも下ぶくれで寄り目で「面白い顔」をしてました。
ただ、頭と性格は悪くなくて、英語も上手だったので彼は語学学校で私たちよりもずっと上のクラスに居たはずです。
学校でジュウンを取り巻いていた男の子の中には、まるでローマ彫刻のような美形のイタリア人もいましたが、彼は私たちよりも更に下のクラスでしたので、遊び人のイタリア人よりスイス人のトーマスと一緒に居ることが多かったジュウンは、きっと頭のいい男の子が好きだったのでしょう。
それでもいきなり電話に出てもらえなくなりふられてしまうのですから、本当にトーマス君を気に入っていたのかは分かりません。
ジュウンのファッションはほとんどジーンズでしたが、ジーンズとはいえ彼女の服はどれも高そうでした。実際ブランド物しか身に付けてなかったと思います。
ローラアシュレイのワンピースにしても、当時は結構高くて1着7〜8万してたと思います。私はウィンドウを眺めるのが精一杯でした。
当時のロンドンにはローラアシュレイの路面店が沢山ありましたが、今年の3月に経営破綻してしまいましたね。
私は韓流ドラマは見ませんが、韓国の小説は結構面白く読んでます。
読んだ本が全部面白かったわけではありませんけど、以下の2冊は面白かったですよ。
「82年生まれ、キム・ジヨン」はフェミニズム文学として注目された小説です。
私が学生だった頃には、まだこうしたフェミニズムの盛り上がりは無かったし、女として生きることの生きづらさは、どう言葉にすれば良いのか分からないものでした。
あの頃の私は若く、韓国について全くと言っていいほど何も知らなかったので、やたらと処女の話にこだわるジュウンの話の背景と彼女の心情が汲み取れませんでしたが、彼女は「生きづらさ」や「息苦しさ」を訴えていたのだろうなと今は分かります。
私がジュウンとカフェに行ったのが1996年のこと。そして、アジア通貨危機が1997年です。母国が大混乱に陥ったのですから、恐らくはジュウンも何らかの影響を受けたことでしょう。
1996年には夢と希望がいっぱいだった私も、「失われた◯◯年」を生きるロスジェネになりました。
女だろうと男だろうと生きづらい世の中です。
当時はSNSなどありませんから、顔を合わせなくなったらそれっきり。
ジュウンは仮名ですが、彼女の本名はちゃんと覚えています。ただ、ファーストネームは覚えていても苗字を忘れてしまったんですよね。
覚えていれば検索してみるんですけどね。今頃どうしているのかなぁ。