◇語り合いました


こんばんは。もう既に読んでくださっている方も多いかと思いますが、トンデモ物件ウォッチャーの山田ノジルさんとスピリチュアルウォッチャーの黒猫さんと私の3人で、子宮系や壱岐島で起こっていることなどをあれこれ語り合った座談会の内容が記事になり公開されました。

まだ読んでおられない方はこちらからどうぞ→子宮系女子たちが続々と移住。いま壱岐島で何が起きている?


こうして私が山田ノジルさんの記事に登場することになるとは、何だか不思議な気持ちになります。
私が「子宮委員長はる」の存在と「子宮系女子」を初めて知った時、彼女たちの下品で荒唐無稽な主義主張には強烈な違和感と嫌悪感を感じたものです。その頃の子宮委員長はる(現在は八木さや)は膣内にジェムリンガというパワーストーンアクセサリーを挿入しっぱなしにすることを奨励していましたしね。
当然気色悪くて仕方がないわけですが、私に「はるちゃん」を勧めてきた友人とはもう20年来の付き合いでしたから、その友人の手前「こんな人おかしいし、この人たちの言うことややることは気持ちが悪い」とはっきり言えずにいました。


そんな時に「子宮委員長はる」について調べてみようとネット検索し、ヒットしたのが山田ノジルさんの「スピリチュアル百鬼夜行」という連載でした。それが私とノジルさんとの出会いです。
山田さんは子宮系女子や子宮委員長はる夫妻の活動について、ユーモアを交えた筆の運びで笑いを取りながらも、「こんなものは有害なだけです」と言い切っており、山田さんの記事を読んだおかげで、私は

「あぁ、やはりジェムリンガなんて変だよね。49万円のセッションなんておかしいよね。子宮の声を聞いてわがままに振る舞えば何でも上手くいくだなんて、そんなはずないよね」

と、子宮系に嫌悪を覚えた自分の感覚が間違っていないと自信が持てました。以来私も山田さんに倣い、おかしいものや怪しげなものは面白おかしくネタにして、「ばっかじゃないのw」と笑い飛ばしながらも、「こんなものに騙されないで下さいね」と啓蒙記事を書くようになりました。
そして今に至ります。


壱岐島に移住したシングルマザーさんについて記事を書いた経緯については、座談会でお話しした通りです。
私がその時に読んでいた宮尾登美子の小説というのはこちらです。


櫂 (新潮文庫)
宮尾 登美子
新潮社
1996-10-30



これは宮尾登美子が自身の実家を舞台に、為さぬ仲であるにも関わらず全身全霊で自分を愛し育ててくれた母親を主人公に据えて書いた自伝小説の第1章です。
貧しさに耐え、夫の横暴に耐え、身を襲う不幸に泣くことはあっても子育てを励みにあらゆる辛さを乗り越えて自立を果たした、弱そうでいて芯の強い一人の女の人生がとろとろと綴られているのですが、読み進めるうちに作家の筆力の強さに引っ張られ物語の中に引きずり込まれていきました。

宮尾登美子は高知県の生んだ文豪です。「櫂」は知らなくても、小説を元に映像化されてヒットした映画や大河ドラマならご存知なのではないでしょうか。

陽暉楼
緒形拳
2015-08-01


陽暉楼 (中公文庫 A 108-4)
宮尾 登美子
中央公論新社
1979-09-10













ふるさとは遠きにありて思ふもの。
正直に申しますと、高知県に住んでいる時には泥臭い宮尾登美子作品を読みたいとは全く思いませんでした。ですが、夫の転勤に付いて引っ越しをし、いざ遠く離れてみると気候も人も激しくて暖かかった高知がひどく懐かしく、恋しい故郷に思えて手に取ったのです。作中に出てくるきつい土佐弁は色っぽく、懐かしくて胸温まる思いがします。

「櫂」に記されていたのは、今では想像もつかない高知県の貧しさです。高知県は今でも貧乏県の筆頭ではあるものの、実際に暮らしてみると貧乏ではあっても決して貧困ではありません。お金はなくても夜毎飲み明かして明るく楽しく生きていける豊かな土地です。
ですが明治時代の高知県には、今とは違う絶対的貧困がありました。最貧困層の人々が住む住宅には、屋根こそあるものの外気を防ぐ壁はない。どうにもならないほど飢えた人々が家の壁を壊し、壁に塗り込めた藁をもしゃぶり口を慰めたというほどの貧しさです。

最貧困家庭にあっては女の子の生まれた家は幸運であり、女児の身売りは家族を救うための「親孝行」という美談に仕立て上げられました。
親に売られた女児は置屋で殴られ脅されながら芸を叩き込まれ、12〜13歳のまだ体もできぬうちから男を迎えて客を取る。そうして命を削って得たお金は家族親族などの身内が総出でしゃぶり尽くすのです。
それは虐待であるとも不条理であるともされません。ただ「そういうもの」として社会に在るのです。それを筆に乗せて伝えたのがたまたま高知県出身の文豪であっただけで、女の子たちの不幸は高知だけで起こった話ではないでしょう。東北だろうと九州だろうと貧しい地方ではすべからくそうであったはずです。

日本が戦争に負け、アメリカがやってきた事で親が女衒に女児を売る人身売買制度は廃止されますが、それまでの日本のあらゆる面での貧しさには胸貫かれるような辛さがあります。


そういう物語を読み進めていた時に目に入ったのが壱岐島の親子でした。
そして哀しくなりました。あぁ、ここにもどうにもならない貧困があると。

子宮系スピリチュアルに傾倒した、世間知らずで厚顔無恥な母親の無責任さによって貧困に堕ちていく幼(いとけな)い子供達を酷(むご)いと思わずにはいられませんでした。


そうした気持ちで書いた記事がバズったのです。
壱岐島に移住した子連れの妊婦さんは、今はまだ行政の世話にならず実家の仕送りを頼って島での生活を続けているようです。
どうやら自分がネット上で晒し者になっていることに気づいて、私の書いた記事も読んだようですね。世間の目を気にして意地を張っているうちは恐らく子供を虐待したりしないでしょうが、どんなに強がっても彼女が一人では生きていけない事実に変わりはありません。

ほどほどのところで八木さやにも子宮系にも自分自身にも見切りをつけて、ご実家にお戻りになり、一から自分自身を見つめ直して人生をやり直してほしいと切に願っています。


座談会後編の記事もどうぞお楽しみに。