こんにちは。
昨日Twitterで藤本さきこ認定講師である林じゅんさんという方の訃報に接しました。
詳細はこちらから→藤本さきこ認定講師の林じゅんさんがお亡くなりになりました
ご親族の方が更新された、林じゅんさんのブログはこちらからです→ご連絡
「突然の死」だということと、「外で倒れた」という以外の情報は書かれていないために詳細は分かりません。
推測もできません。
ただ、痛ましいです。
日頃子宮系スピリチュアルを容赦無くこき下ろしている私のような者が、藤本さきこ認定講師であった林さんの死に関して何かいう資格はないのかもしれません。
それでも、お悔やみを申し上げます。
昨日Twitterで藤本さきこ認定講師である林じゅんさんという方の訃報に接しました。
詳細はこちらから→藤本さきこ認定講師の林じゅんさんがお亡くなりになりました
ご親族の方が更新された、林じゅんさんのブログはこちらからです→ご連絡
「突然の死」だということと、「外で倒れた」という以外の情報は書かれていないために詳細は分かりません。
推測もできません。
ただ、痛ましいです。
日頃子宮系スピリチュアルを容赦無くこき下ろしている私のような者が、藤本さきこ認定講師であった林さんの死に関して何かいう資格はないのかもしれません。
それでも、お悔やみを申し上げます。
お亡くなりになった方は、発達障害の息子さんを一人で育てているシングルマザーだったそうです。
だからこそ親子共々生きていく上で悩みが深く、子宮系スピリチュアルという怪しげなカルトに傾倒してしまったのでしょう。
藤本さきこ認定講師の資格を得るため300万円もの大金を払ってしまうような人は、それだけ人生が思うようでなく、正常な判断力を失ってしまうほど焦りが深いのです。
悲しいことですが、焦りの深さが失う金額の大きさに比例してしまうのが、スピリチュアルビジネスのカモの定め。
300万円あれば、林さんは何ができたでしょうね。
少なくとも、当面のお子さんの学資にはなったはずでした。
あるいは時間とお金をたっぷりかけて遊びに出かけ、自分が死んだ後もお子さんの胸を温め続ける思い出づくりが山ほど出来たはずでした。
生前のブログによると、彼女は愛のある世界に生き、素晴らしい仲間たちとの出会いがあったと綴っていますが、その愛ある世界の素晴らしい仲間たちのほとんどは訃報に接しても何のコメントも出さないか、あるいはお悔やみもそこそこに自分の商品の宣伝ばかりしています。
お仲間であった方々も、詳細がわからない以上は軽々にコメントを出すことはできないのかもしれません。あるいは親しかったからこそ胸の痛みが深く、何も言えずにいるのかもしれません。
けれど、その薄情にも見える様子を外から眺めていると、林さんが300万円(その他藤本さきこ関連のイベントやセミナーにも複数参加しているので、実際に彼女が使ったお金はもっと大きな額です)もの大金を投じて手に入れたかった愛の世界とは、随分と軽薄で淋しいものに感じられてしまいます。
そのことが、ただ痛ましいのです。
話は変わりますが、前回書いた記事で、私は八木さやの不倫相手に言及しました。
と書きましたが、記事を出した後に壱岐島民の方からメッセージをいただいて、八木さやの不倫彼氏とされている男性について教えていただきました。
どうやらその男性は小商いをしている普通の商売人ではなく、やくざ者だったようです。
「あぁ、そっちだったのか」と。
ならば八木さやとの不倫も十分あり得ますね。八木さやは元風俗嬢ですから、女衒はヤクザの生業です。八木さやにとっては慣れ親しんだ水の匂いがする男性なのでしょう。とてもお似合いですよ。
それにしても、八木さやも哀れですね。
最近のブログでは犬を飼い始めるとか、母親と妹が島を訪ねてくれるので嬉しいと書いてます。
子宮委員長はる時代のブログでは親に絶縁宣言していたにも関わらず、今になって壱岐島で一緒に住みたいだなんて、余程広い家で独り住まいの淋しさが堪えているようですね。
動物嫌いというより、ペットだろうと子供だろうと誰かや何かの世話をすることが嫌いなのに、犬を飼ってみようと思い立ったのも淋しさに耐えられないせいでしょう。
淋しい教祖、淋しい信者。
子宮系スピリチュアルにハマる女性たちは、あれで案外一途なのです。
彼女たちは幸せになりたくて、愛されたくて仕方がない。
愛もお金も手に入れて満たされたいと人一倍願っています。
けれど努力をして幸せを掴むのではなく、他者に尽くし思いやることで愛を育むのでもなく、安楽さを願うので「楽して儲かる」「我が儘で愛される」と謳う子宮系スピリチュアルに引っかかり、その結果として欲しかったはずのものや愛して欲しかった人たちが遠ざかっていってしまう。
地に足つけて生きている世の人たちが彼女たちを蔑むのは、楽して着飾り、面白おかしく世渡りしようという図々しさを嫌うから。
「宇宙の設定に従う」と理屈をつけて、自分の頭で考えずに何事も成り行き任せ。嫌なことは他人に押し付け自分ばかりが得をしようとし、愛さないのに愛されたがり、そうやって楽な道を選んだ果てにあるのが、かき分けてもかき分けても淋しさがしんしんと降り積もる孤独な境涯なのでしょう。
彼女たちが語る愛の白々しさ。彼女たちの生き方の寒々しさに、見ているこちらの方の心もしんと冷えてくるようです。
追記:この記事を書いていた時点ではまだ「お仲間」の方々で追悼を発表している方はほぼ居ませんでしたが、昨日藤本さきこがブログで追悼記事を出した直後から続々と追悼記事が上がってきました。
皆さん胸が痛むあまりに気持ちの整理がつかず、すぐには追悼のコメントを発表できる精神状態になかったのかもしれません。
ただ、お亡くなりになった方のご親族が訃報を発表したのが4日の昼過ぎです。
発表後もお仲間の方々はまるで何事もなかったかのように商品やサービスの宣伝をされており、ネットで「あまりに冷たいじゃないか」と批判の声が上がり始めたのが5日、続々と追悼記事が出始めたのが6日からであることを記しておきます。
だからこそ親子共々生きていく上で悩みが深く、子宮系スピリチュアルという怪しげなカルトに傾倒してしまったのでしょう。
藤本さきこ認定講師の資格を得るため300万円もの大金を払ってしまうような人は、それだけ人生が思うようでなく、正常な判断力を失ってしまうほど焦りが深いのです。
悲しいことですが、焦りの深さが失う金額の大きさに比例してしまうのが、スピリチュアルビジネスのカモの定め。
300万円あれば、林さんは何ができたでしょうね。
少なくとも、当面のお子さんの学資にはなったはずでした。
あるいは時間とお金をたっぷりかけて遊びに出かけ、自分が死んだ後もお子さんの胸を温め続ける思い出づくりが山ほど出来たはずでした。
生前のブログによると、彼女は愛のある世界に生き、素晴らしい仲間たちとの出会いがあったと綴っていますが、その愛ある世界の素晴らしい仲間たちのほとんどは訃報に接しても何のコメントも出さないか、あるいはお悔やみもそこそこに自分の商品の宣伝ばかりしています。
お仲間であった方々も、詳細がわからない以上は軽々にコメントを出すことはできないのかもしれません。あるいは親しかったからこそ胸の痛みが深く、何も言えずにいるのかもしれません。
けれど、その薄情にも見える様子を外から眺めていると、林さんが300万円(その他藤本さきこ関連のイベントやセミナーにも複数参加しているので、実際に彼女が使ったお金はもっと大きな額です)もの大金を投じて手に入れたかった愛の世界とは、随分と軽薄で淋しいものに感じられてしまいます。
そのことが、ただ痛ましいのです。
話は変わりますが、前回書いた記事で、私は八木さやの不倫相手に言及しました。
悪い噂は疾風のごとく駆け巡る田舎暮らしで、やくざ者ならともかく小商いをしている普通の商売人では密やかな恋をして不倫の噂が立つだけでも信用に傷が付き商売上大きな打撃となるのですから、それを公開でやるだなんて狂気の沙汰です。
と書きましたが、記事を出した後に壱岐島民の方からメッセージをいただいて、八木さやの不倫彼氏とされている男性について教えていただきました。
どうやらその男性は小商いをしている普通の商売人ではなく、やくざ者だったようです。
「あぁ、そっちだったのか」と。
ならば八木さやとの不倫も十分あり得ますね。八木さやは元風俗嬢ですから、女衒はヤクザの生業です。八木さやにとっては慣れ親しんだ水の匂いがする男性なのでしょう。とてもお似合いですよ。
それにしても、八木さやも哀れですね。
最近のブログでは犬を飼い始めるとか、母親と妹が島を訪ねてくれるので嬉しいと書いてます。
子宮委員長はる時代のブログでは親に絶縁宣言していたにも関わらず、今になって壱岐島で一緒に住みたいだなんて、余程広い家で独り住まいの淋しさが堪えているようですね。
動物嫌いというより、ペットだろうと子供だろうと誰かや何かの世話をすることが嫌いなのに、犬を飼ってみようと思い立ったのも淋しさに耐えられないせいでしょう。
淋しい教祖、淋しい信者。
子宮系スピリチュアルにハマる女性たちは、あれで案外一途なのです。
彼女たちは幸せになりたくて、愛されたくて仕方がない。
愛もお金も手に入れて満たされたいと人一倍願っています。
けれど努力をして幸せを掴むのではなく、他者に尽くし思いやることで愛を育むのでもなく、安楽さを願うので「楽して儲かる」「我が儘で愛される」と謳う子宮系スピリチュアルに引っかかり、その結果として欲しかったはずのものや愛して欲しかった人たちが遠ざかっていってしまう。
地に足つけて生きている世の人たちが彼女たちを蔑むのは、楽して着飾り、面白おかしく世渡りしようという図々しさを嫌うから。
「宇宙の設定に従う」と理屈をつけて、自分の頭で考えずに何事も成り行き任せ。嫌なことは他人に押し付け自分ばかりが得をしようとし、愛さないのに愛されたがり、そうやって楽な道を選んだ果てにあるのが、かき分けてもかき分けても淋しさがしんしんと降り積もる孤独な境涯なのでしょう。
彼女たちが語る愛の白々しさ。彼女たちの生き方の寒々しさに、見ているこちらの方の心もしんと冷えてくるようです。
追記:この記事を書いていた時点ではまだ「お仲間」の方々で追悼を発表している方はほぼ居ませんでしたが、昨日藤本さきこがブログで追悼記事を出した直後から続々と追悼記事が上がってきました。
皆さん胸が痛むあまりに気持ちの整理がつかず、すぐには追悼のコメントを発表できる精神状態になかったのかもしれません。
ただ、お亡くなりになった方のご親族が訃報を発表したのが4日の昼過ぎです。
発表後もお仲間の方々はまるで何事もなかったかのように商品やサービスの宣伝をされており、ネットで「あまりに冷たいじゃないか」と批判の声が上がり始めたのが5日、続々と追悼記事が出始めたのが6日からであることを記しておきます。