◆女たちのロスジェネ問題


去年の夏は酷暑だったのに今年の夏は肌寒いですね。

そろそろ原稿を書かなければいけないのですが、手につかずブログに逃げております。
今週はせっかく時間があったのに、体調不良のため家事をする以外は床について本を読み、Twitterを眺めていたら過ぎてしまいました。

女は面倒ですよね。毎月必ず体調不良の日が数日あるのだもの。
こういう時には子宮系の「女であると言うことを実感する日。生理を前向きに受け入れよう」という考えにも共感したくなります。
とはいえ最近の子宮系はひたすらお金の話で、そういう女性の性がどうのこうのという話はちょっとしたおまけやお飾り程度にしか聞かなくなりました。
子宮系も初期の頃の教義には、極端すぎるきらいはあるけれど多少は共感できる部分があったんですけどね。今は子宮の沙汰も金次第です。


さて、前回の設定変更界隈をおちょくる記事に大きな反響があり、書いた私自身が驚いてしまいました。
私が考えていた以上に藤本さきこは注目されてるのですね。もしも私のブログのPVが注目度の反映であるとするなら、藤本さきこの注目度は八木さやの倍以上ですよ。

恐らく300万円と言うセミナー代金が衝撃的なせいでしょう。借金させてまで信者から大金を巻き上げる手法と手腕はいかにも悪辣です。

藤本さきこは300万の認定講師セミナーの他にも、ラグジュアリー読書会というよく分からない合宿セミナーを主催しており、国内の温泉旅行でも20万ほどせしめ、ロンドンやパリといった海外にまで足を伸ばせばその3倍は取るようです。

信者にとってはべつに高くないのかもしれません。
ただの温泉旅行ではなく、憧れのさきこさんと一緒に温泉旅行や海外旅行に行ける権利のお値段なのですから。


私のようなひねくれ者から見れば、今時パリロンとか言っちゃってパリとロンドンに憧れる時代遅れのセンスにまず笑っちゃいます。
私が10代の頃は確かにお洒落な都市として主要ファッション誌で毎号レポート記事があったものでしたが、もう今ではすっかりヨーロッパの街は変質しています。
かつて日本人が憧れて止まなかった、無造作なお洒落が眩しいパリジャンやロンドナー(ロンドンっ子)なんてほとんど居ません。

私がロンドンで暮らしたのはもう20年以上前で、その頃から人種のるつぼと言われていましたが、その後は一層元々の住人であった白人が減り続け、今ではアラブ系やアフリカ系のイスラム教徒や中国人が激増しているばかりか、白人ではあってもその多くが東欧からの移民なのです。

元気なうちにボルゲーゼ美術館を訪ねてみたかった私は、数年前再婚した時に夫にねだって、新婚旅行にはローマとフィレンツェに連れて行ってもらいましたが、そこも似たような有様で、私が子供の頃に両親と旅したローマとはすっかり様相が変わっていました。
どうしてヨーロッパの都市の風景が変わってしまったのかについては、この本を読めば納得できます。

西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム
ダグラス・マレー
東洋経済新報社
2018-12-14



もちろん彼女たちはそんなことお構い無しでしょう。なんせ無知なのですから。
それにしても、藤本さきこはがっぽり稼いでいるものの、あの様子じゃ貯めるのは難しそうですね。

分かりやすい憧れを掻き立てるために、ヴィトンやグッチのバッグ、イヴ・サンローランのワンピース、ヴァンクリーフ&アーペルのジュエリーなど、ハイブランドのアイテムを多用していますが、本当にブランド直営店で購入しているのだとすれば、アイテム1つにつき数十万から数百万円はします。

同じワンピースを年中着回すわけにもいかないでしょうから、出かけるたびに次から次へと新しい服と小物を購入しなければならないので、身を飾り立てる経費だけでも大変ですね。
内縁の夫に貢ぐお金も相当なものでしょう。

離れた場所から冷めた目で眺めていれば、信者たちの払ったお金がしょうもない教祖の虚栄に使い込まれていると分かるのですが、信者の皆さんには分かりません。
見ようとしないので何も見えないのです。

私が書かなくたって藤本さきこに対する批判はネットに山ほど転がっています。インチキスピリチュアルに警鐘を鳴らす人も騙された後悔を綴る人も少なからずいますが、藤本さきこにお金を貢ぐ女性は減りません。
彼女のブログやFacebookを見れば、今日もパッとしない女性たちが大勢並んでマヌケ面を晒しています。


そのことに「なんで!どうして?」と憤っても仕方がないのです。
だって彼女たちは夢を見ていたいのだもの。現実から目を背けていられるのなら夢を見せてくれるのは誰であってもいいのです。
現実を見据える覚悟ができない限り、一人の教祖が潰れたところでカモはただ教祖を乗り換えるだけです。


先月、日頃から交流のある子宮系ウォッチャーさんたちとお喋りをした時に、

「ゆきさんは相手(教祖や信者たち)をバカだと言い切ることに躊躇は感じませんか?」

と聞かれたのです。

「感じません」

と答えました。なぜなら私にとって、人間とは皆一様に愚かなものなのだから。もちろん私自身も同様に。

私は美術や文学を愛していますが、そこに描かれているものは人の愚かさです。だから魅力的なのです。
太宰治の「人間失格」や夏目漱石の「こころ」が、完全無欠の強くて賢い人間について書かれたものであったなら、そんなの誰も読まないでしょう。


子宮系の信者たちは自分の信じたいものを信じようとしているうちは、他人が何を言っても目が覚めません。なぜならそこに彼女たちの正義があるからです。
教祖の言っていることこそが正しくて、間違いだと指摘してくるアンチや、揶揄してくるウォッチャーこそ間違えていると固く信じています。

でも正義って何でしょうね?
私は近頃つくづく思うのです。この世にあるのはそれぞれの「都合」であり、「正義」はどちらの側にもないんじゃないかって。


今週読んだこちらの本は面白かったです。





韓国女性の生きづらさを語った小説なのですが、日本の女性も大いに共感できることでしょう。
子宮系女子も、言うなれば生き辛い人たちの集まりなんですよね。少なくともカモにされている凡庸な信者たちは、生き辛さを抱えた人たちなのです。

私たちロスジェネ世代は、上手に世渡りできず社会に居場所を見つけられなかった男性たちは家に逃げ込み引きこもりになったけれど、同様の女性たちは、スピリチュアルに逃げ込んで仲間との関係性の中に引きこもっているのかもしれません。

子宮系女子というものは、女たちのロスジェネ問題なのかもしれないなと、ふと考えてしまいました。