■美しさの価値

「この記事あなたが好きそうじゃない?」

と、夫がネットで見つけた記事を転送して来た。

「婚活って何するの?」 


真っ白で陶器のような肌、大きな真ん丸の瞳に、ふっくらとした唇と艶のある長い巻き髪。小柄で華奢な手足に豊満な胸。桃子は学生時代から、どこにいても人目を惹く格段に美しい女だった。 

 

そのうえ天真爛漫という言葉がピッタリな大らかで明るい性格、食事や酒の趣味もよく、歯に衣着せない物言いも魅力的で、桃子の周りには取り巻きの男たちが絶えなかった。

 

都会の美人女子大生、その煌びやかな生活


桃子の誘いで女子何人かで夜の東京へ繰り出すと、まずは社長系の男たちに都内の一流ホテルで桃子の好物である和食や中華をご馳走される。豪快に食べて飲み可愛らしい笑顔を振りまく桃子の姿を金持ちの男たちは満足そうな目で見つめ、食事が終わる頃タクシー代を1人ずつ渡す。 


二次会は西麻布のカラオケで桃子の到着を待つエリートサラリーマン達と合流する。可愛らしい声で彼女にピッタリな適度な振り付けで流行りの曲を楽しそうに歌うと、また男たちは高揚し桃子桃子と褒め称える。そして、終電がなくなった頃に帰ると言うとまた1人ずつタクシー代を渡してくれる。 


帰るフリをしながら向かう薄暗いバーには、桃子に真剣に思いを寄せる弁護士だか会計士の神経質そうな男が待っている。桃子が一人でないことに落胆を隠せない一方、彼女のご機嫌をとるため友人たちにも気を配る。 


そこで桃子はシャンパンを飲みながら男の相手はほとんどせずに携帯をいじり、急にパタンと携帯を閉じると、切実に引き止める男を振り切ってバーを後にし、夜中の六本木通りへ出る。すると最後には大きなベンツが停まっており、女子メンバー全員を送迎する人の良さそうなお坊ちゃま風の地味な男が登場する。 


全員、桃子が「友達」と呼ぶ男たち。 


最近「プロ女子大生」という言葉が流行っているが、桃子はまさにその典型だったと思う。 


自分では到底購入できないだろう高級時計やアクセサリー、バックを身に着け、いつも姿勢よく東京の街を楽しそうに歩いていた。プロ女子大生どころか、バブル時代のドラマから抜け出したような女。 


その「友達」たちは、いつもまぁよく揃ってと思うほど、桃子をお姫様のように扱った。 


食事やブランド品だけでなく、桃子が「家にパソコンがなくて課題ができない」と言えばパソコンをプレゼントする上にインターネットまで自分の名義で登録してやったり、なぜだかシャンプーなどの日用品や食材まで桃子に届ける男もいた。 


世の中には、必要なものを「欲しい」と言わなくても手に入れられる女が存在するのだ。欲しいものは向こうから勝手にやってくる。




全文はこちらから。→東京婚活事情:もてはやされる「プロ女子大生」その後の社会での現実と賢さ


「ふーん。美穂のことみたいね。ほら、私が前にあなたに話したでしょ?」

「そうそう。あなたの友達にこういう人居たんでしょ?」

 
美穂は親しい友人だった訳ではない、ちょっとした知り合い程度だ。
美穂のような眩しい女の子の友人になれるほど、私は華やかな女の子ではなかった。

私が東京での学生時代に「プロ女子大生」の具体例として知っていたのは美穂だけだったが、そのような特権階級の女の子達が東京には居るのだ。

東京生まれで、東京育ちで、オシャレで、生まれつき美人な上に化粧も洗練されており、知り合う男たちと男の子達から浴びるようにお金をかけてもらえる女の子たちが。

 
美穂は楽しい青春時代、学生時代を過ごし、その延長線上のような社会人生活を過ごした後、20代も終わりが見えて来た頃にヒルズ族(古い言葉だ)との婚約が破談となり、最終的にはあまりぱっとしない相手と結婚した。

結婚とは世間的に見栄えがいい必要など全く無いので、堅実な相手とささやかな幸せを育みメデタシメデタシとなれば良いのだが、あれから10年以上の月日が経ち、現在の彼女が満ち足りて幸せだという話は聞こえてこない。

人並みに生活が出来て、人並みに子育ても出来て、同世代の中では人並み以上にまだ美しいというだけでは満たされない心を抱える不幸というのも、世の中にはあるのだろう。


■美しい女が好きな人種

「僕は美しい女が好きなんだ。」

そうハッキリ言い放って悪びれもしないこの男は、私の学生時代からの古い友人である。

友人と言っても私とは一回り以上年が離れているのだが、私たちは何事も忌憚なく話し合える気の置けない友達だ。


彼は愛妻家だった。すでに10年以上前になるが、少なくとも彼が40代半ばにさしかかる頃までは愛妻家であることを自負し、妻に尽くすことを己の人生の使命にしていた。

彼の妻に会わせてもらったことは一度も無いが、それは美しい人だったのだそうだ。

「妻を連れていると『川口さんの奥さんてお綺麗なんですねぇ。』とその場に居る人みなに言われるくらい美人なんだよ。」

と誇らしそうに言っていた。


彼と同い年だという妻は19歳からの付き合いで、学生時代は大学のマドンナだったそうだ。東京でも品のいい高級住宅地のお屋敷に住んでいたお嬢様だったらしい。
非の打ち所がない純血種だ。

彼自身も神奈川の上品で文化的な古都の出身なのだが、生い立ちにも容姿にも恵まれた娘にふさわしいと、彼女の親が認める程に優れた男ではなかったらしい。

「そんなパッとしない男の子がマドンナとよくつき合えたね。」

と思ったけれど、きっと彼は美しい花を追いかけ回し、崇め、仕え、尽くしたに違いない。
何しろ美しい女に対しては気前のいい人なのだ。高嶺の花もその情熱にほだされたということだろうか。


彼女との結婚を彼女の親に認めてもらう為に彼は血のにじむ努力をしたそうだ。
私が彼と知り合ったのは彼がすっかり出来上がってからだった。
年収3000万円越えのビジネスマンで、高級外車に乗り、瀟洒な家に住み、高級品と分かる手触りのいいワイシャツに仕立ての良いスーツを来て、良い香りを漂わせていた。
妻にふさわしい男になる為の努力の結晶だ。


「奥さんのことは尊敬してるんだよ。素晴らしくセンスが良くてね。僕の人生はこの人に尽くす為にあったんだなと思っているんだ。」

と、食事をしながら聞いたのはいつだっただろうか。

しかし、彼ら夫婦が40代も終わりにさしかかる頃になると、様子が変わってきた。


「妻とは毎日喧嘩だ。彼女は自分がどれだけ(今は亡き)父親に大切にされて育てられたかなんていう話を繰り返して、僕に父と同じようにしろって言うんだ。こう言っちゃ何だけど僕は随分長い間彼女によく尽くして来た。
生活に不自由をさせたことは無いし、彼女が好きなものを買い、(エステ通いなど)美貌を維持していられるだけの贅沢と余裕も与えてるつもりだ。ケアの仕方が足りないと言われてもこれが僕の精一杯なんだし、これ以上は無理。
一人になりたい。自由になりたい。」


「やれやれ。あんなに愛妻家だったのにどうしたの?
あなたの奥さんは今更年期まったがなかで気が立ってるんだと思うよ。あなたたちには子供が居ないし、子供が居ないんだから孫も出来ないし。仕事もしないで子供も居なけりゃ暇でしょうね。
いくら美人といってももう50歳になるんだし、専業主婦で家にこもりっきりじゃ、彼女を見つめてくれる人は居ない。
夫は仕事と自分の趣味でほとんど家に居ないし、おまけに10年以上妻を抱いてない。
誰にも見つめられず、愛されることも無く、女としての時間が終わろうとしている。
その焦燥感は分からないでも無い。不満をぶつける相手はあなたしか居ないのよ。
妻に外の世界に出て働くなり何かの活動をするようにこれまでしむけてこなかったあなたにも責任はあると思う。
妻がそんなに面倒くさいなら、抱いてあげたらいいんじゃないの?」

「…それは出来ない。そう出来るといいんだろうけど。」


彼の辟易した気持ちも分からなくはない。
もう50歳にもなろうという女が、「姫扱いしろ。娘のように可愛がれ。」というのも醜悪な話だ。

彼は美しい女が好きなのだから。


残念なことに、世の中に美しい女は沢山居り、いつまでも美しい女は居ない。

美しい女が年を取る、それは神通力を失い凡庸さへ続く階段を下りるということなのだ。

美しい女を崇め、尽くすことに喜びを感じる男はある日気づいてしまう。それまでかしずいてきた姫がもう美しくはないことに。


美しい女が賢い女であれば、どんなに遅くとも30代のうちに気づいているはずだ。
最後に自分の面倒をみるのは男(他人)ではなく自分自身だということに。

人はある一定の年齢を過ぎたら、愛は与えられる以上に他者に与えなければならないのだということに。
何も考えること無く自分だけを愛しながら50歳まで歳を取るべきではなかったのだ。


それから更に数年経って、彼にその後家庭はどうなったのかを尋ねたとき、妻への責任と愛の表現として、いつ別れてもいいように財産分与をすませたと言っていた。

そうは言っても妻から言い出さない限り彼が無理に籍を抜くことは無いだろうし、別れる別れないに関係なく、妻には生活の保証をするはずだと私は思う。
ただ、仕えるのをやめただけなのだ。


彼女は下僕の居なくなったひとりぼっちの王宮で、何を思うのだろう?

鏡に映るのは、かつて美しかった女である。