■誰もが自分が自分の心で感じる価値を信じればいい

と思えなかったら、美大生はやってられないな。

と、武蔵野美術大学に通っていた学生の頃に悟りました。


そして、「この世の中でたった一人でも、誰かの心に響く作品だったなら、その作品には価値があるのだ。」と私は考えました。


学生なんてまだ「何者でもない」ですから、どんなに学友と偉そうにゲージュツ論など闘わせようが、言っていることに説得力は無く、世間に認められる程のものをまだ何も生み出せてもいません。


さらに美大生は互いに辛辣ですから「何これ?よくこんなの出せたね。」と提出した課題作品を同級生に鼻で嗤われ、恥ずかしさに声も出せなかったことがあります。
書いたレポートをインターン先やインタビュー先で「いかにも学生らしい浅い考え。」「薄っぺらい。」と冷たくあしらわれて泣いてしまうこともありました。
理屈っぽい男子学生との議論に負けてぐぅの音も出ないことは日常でした。


それでも、美術・創作の道に正解はそもそもありません。自分にとっての正解が自分の中に在るだけです。 
誰に「間違っている。」と否定されようとも構わないのです。 


何故なら、
正解の無い場所には間違いも無いのだから。


入学したてのころからそう思えた訳ではありませんが、卒業までにはそう考えられるようになってました。


私は友人から神経が図太いと言われてますが、 こうした考え方自体は美大と言う少々風変わりな学校へ通ったことで身に付いたと思います。


このブログはあくまでも私が私の主観で判断した意見を述べているだけです。
炎上は狙ってませんが、中には賛否両論ある記事もあります。

ただ、私のブログを読んでご不快になる方がいらっしゃったとしても、
 私は私の自説を曲げる気はございません。 


何故なら、私は私にとっての価値と正解を信じて意見を発信しているからです。 


もし私の意見に共感出来ない方がいらっしゃっても、そもそも私は共感を求めて書いているのではありません。 


そして私は私に共感出来ない方を否定しません。 

その方にはその方にとっての正解があることを、私も分かっているからです。 


私は一昨日、昨日の記事で、イベントでお見かけした作家さんを「レベルが低い」と評しました。 
そう思ったので私はその作家さんの作品を買いませんでしたが、だからといって「あの人の作品は買わない方がいい。」とは、誰にも勧めていませんよ。 


ハンドメイド作品の価値の有る無しや買う買わないは、そもそも自分で判断すべきことではありませんか? 

私が褒めない作家さんの作品には価値がないのですか? 

私が褒めた作家の価値は高いのですか? 

いいえ、そうではないはずです。 


あなたが素晴らしいと思う作品は、あなたにとって価値がある。 


自分の心が感じたことを信じて下さい。


全ての作家さんは、ご自分の想いがあって創作活動をされているはずです。お客さんはその作家さんや作品がいいと思うから買うはずです。


それを、私が褒めないからといって何故がっかりするのでしょう?

私が私の審美眼を信じるように、それぞれが自分の審美眼を信じれば良いことではありませんか? 


もしも私が酷評したら自分にとって作品の価値が無くなってしまうのであれば、それは作品に価値が無いのではありません。 
私の発言に問題があるのでもありません。作品を選んだ自分を信じきれない心に問題があるのです。 


自分にとっての価値を信じられないのは、 自分を信じられないからです。 

自分を信じられないのは、自分を信じるに足るだけの経験の積み重ねが無いからです。 

自分に対する不信をどう克服するかは、自分が責任を持つべき問題ですよね。 


私は自分の意見に自信がありますが、自分が正しいと思うほど傲慢ではありません。 

私は自分の正しさを自分に認めるように、他者の正しさも認めます。 


禅問答か哲学のようですが、誰もが正しいのです。そこに正解はありません。