■サエコ

帰れない女達part 4の続きです。

彼女の名はサチコ。
やはりJALの同僚で、4つ年上でしたが、私は親しみを込めてさっちゃんと呼んでいました。

傾国の美女。

魔性の女。

世の中に美人は珍しくもありませんが、このような形容が似合うほど美しい女は珍しいと言えます。

私には一般的に美人と言って差し支えない女友達が沢山居ますが、彼女ほど美しい女性に出会ったことはそれまでに無かったし、あれから17年たった今でも彼女より美しい女性にはまだ会っていません。


日本人離れしたすっきりとして彫りの深い顔立ち、大きな目、厚みのある唇。
凹凸がはっきりして引き締まった体つき。彼女は顔も身体も造形的に良く出来ていました。

けれども、顔のパーツ配置。骨格や肉付きの造形美よりも私を惹き付けたのは、ゆらりゆらりと歩く姿から立ち上る濃霧のような色気の方で、それが彼女を一層魅力的で美しいと私に感じさせたのです。


彼女の写真は沢山撮ったのに、今手元にかろうじてデータがあるのはこの1枚だけ。

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私は人生が辛く感じられ自暴自棄になってしまった一時期に、自分が描いた絵やさっちゃんの写真やロンドンで学生をしていた頃に書いた論文を全部捨ててしまいました。

もう未練がましくこんなもの持っていても仕方が無いと思ってしまって。
私のこれからの人生は、家庭ではただ我慢をしながら、外では日銭を稼ぐ為にクリエイティビティなど発揮しようもない仕事につき、一生自分を殺して生きるしかないのだという思い込みに捕われていたので、ほとんどの持ち物を捨ててしまったのです。


とても後悔しています。

まだデジカメが無い時代に、アナログの一眼レフカメラで撮り、暗室で現像液や印画紙と格闘しながら仕上げた写真は、もう元のフィルムも無いのに。あんな写真はもう2度とは撮れないのに。


彼女以外の誰を撮ってももうこうした写真は撮れません。
彼女以外で切実に絵に描きたいと思った人も居ません。


彼女だからフィルムに焼き付けたかった。
彼女だから絵に残したかった。


私は芸術家ではありませんが、恐らく芸術家にとってのミューズ(女神)とはこうした存在なのでしょう。
その美しさを主題にした何かを残さずにはいられない気持ちを、狂おしく駆り立てるのです。


私がさっちゃんをモデルに描いたイラストも、かろうじて一枚だけデータで残っています。

さちこ1

ちょっと怖いなw

でもこの絵が私が見ていた彼女のイメージなのです。

彼女は色気と同時に迫力のある女性でした。 

腕には飛翔する龍のタトゥー。
モノクロの写真や絵では分からないけれど、肌は色黒で、かなりのヘビースモーカーでしたから歯も白くはありません。服装はパンクです。


保守的な日本人男性なら彼女の容貌を好ましいとは思わなかったでしょう。

「僕は苦手だな。」

と言う人達は少なからず居ました。


しかし彼女の方でも日本人男性は相手にしていません。

彼女の夫は白人のイギリス人であり、彼女への恋心に身を焦がし心を滅ぼしてゆく男達も又白人のイギリス人男性たちでした。
ただし、社会が明確に階層化しているイギリスにおいて、彼女のパートナーや愛人は下層に位置する人々でした。 


持病が在り定職には就けず、たまにモデルや俳優業をしている夫と二人で、さっちゃんは郊外の小さな家で慎ましく暮らしていました。
生活はさっちゃんの収入が支えていましたから、彼女はいつもJALを辞めたがっていましたが辞めることは出来ません。


「勉強をして他の仕事がしたい。」
と言う彼女に、こともなげに
「辞めてお金はどうするんだ?」
と彼女の夫は返事していました。


経営破綻した今では考えられませんが、当時のJALは世界中の全てのエアラインの中でも最も給料が高く、私のようなお客様のエスコート係(JAL会員でサポートサービスをお申し込みの小さなお子様連れのお客様や、東証一部上場企業の常務以上のVIP待遇客にはエスコートがついた。そんな前時代的なサービスの提供は最早JALしかしていなかった。)と言う大した仕事をしてない下っ端の派遣社員でも高いお給料をもらえていましたから、学歴も資格も無いさっちゃんはJAL以上に給料がもらえる仕事は他に見つけられそうにありませんでした。

学歴や資格、手に職の無い者は人生を選べない。それはどこの国でも同じです。

しかし彼女は美しかった。


私は彼女の家に遊びに行き、彼女の夫に会う度、何故これほど美しい女性がこんな生活に甘んじていなければいけないのだろうと不思議で仕方がありませんでした。

さっちゃんは夫と仲睦まじげには振る舞っていましたが、結婚後ほどなくして愛人を作り、愛人の他にも彼女の美貌に目がくらんだ男達をもてあそぶことに日々のささやかな楽しみを見いだしているようでした。

彼女の愛人からは「サチコは離婚したいと言っている。でもイギリス人の夫と離婚したら滞在権も労働許可も無くなってしまい日本に帰らなければならなくなると言っている。」と私は聞かされていました。


「離婚したい。」「もう離婚する。」それは愛人をもてあそぶ為の言葉でもあったのかもしれませんが、本心も含まれているように思えました。


離婚したいなら何故離婚に踏み切れないの?

夫はイギリス滞在許可と労働許可の証書だから?


何故さっちゃんがイギリスでの生活にそうまでして固執するのか分かりませんでした。
確かに彼女の美しさや魅力は、日本の社会に馴染む質(たち)のものではなかったけれど。


サエコ、サエコ、サエコ、サエコ、サエコ…

あぁ、うるせぇな。


口を開けばさっちゃんのことしか話さなかった彼女の愛人は、ある日彼女にプロポーズし、すげなく断られて「Why!?」と絶叫していました。


「I could hava given her a better life!」(僕は彼女にもっといい生活をさせてあげられるのに!)


はははっ、ふざけんなよ。オマエはアキコのヒモじゃねーか。

 
そうなんです。さっちゃんの愛人には同居している彼女が居ました。
彼より11歳年上の日本人でしたが、慶応大学を卒業しており、イギリスの永住権を持ち現地で堅い会社に就職して高給を取る一方で、美貌を活かしてモデル業もこなす才色兼備でした。


アキコさん、あなたもどうしてこんな男とくっついてるの? 
私は不思議で仕方が無いの。


「アキコの素顔はプレーンでさぁ、化粧してないともう見てられないね。オバサン(当時38歳)だから。くくっw」


だまれバカヤロウ。


さっちゃんの愛人は定職には就いていましたが、アキコさんのマンションに住み食事も世話になっていた為、自分の給料はアルコールとドラッグに潰してしまうようなロクデナシでした。

そりゃプロポーズも断られて当然です。


彼は後にアキコさんからも遂に愛想をつかされマンションからたたき出されますが、それはかなり後のこと。


それにしても、私にはどうしてなのか分からない。
何故彼女達は底辺の生活に甘んじ、ろくでもない男とくっついてでもイギリスに留まっていたいのか。

そして怖くてたまらない。
どのポイントを過ぎると日本へは帰れなくなるのだろう?